浜岡原子力発電所との共存 50年のあゆみ(動画)

浜岡原子力発電所立地申し入れから50年のあゆみ

浜岡原子力発電所立地申し入れから50年のあゆみVTR

御前崎市は、平成29年9月に、浜岡原子力発電所の立地の申し入れから50年の節目を迎えました。

この間、御前崎市では発電所立地による交付金や税収増加などの財政的なメリットを活用し、福祉、文化、産業育成など広範囲にわたる施設整備等により、積極的なまちづくりを進めてきました。

御前崎市が原子力発電所と共存してきた50年間の経緯を記録に残し、次世代に伝えていくため、原子力発電所立地の申し入れから50年のあゆみを動画にまとめました。

 

下記には、浜岡原子力発電所立地の申し入れから50年のあゆみにおける要点をテーマごとにまとめました。

原子力発電所の立地申し入れにおける町の対応

高度経済成長の進展にともない電力需要は増加し、電力会社はさらなる電源開発に取り組むこととなりましたが、この頃からエネルギー資源問題を「大幅に解決し得るもの」として原子力開発が注目され、政府による関係法令の整備も進められていきました。

中部電力株式会社でも原子力発電所建設の候補地を選んで調査していました。

昭和42年5月初旬、「中部電力株式会社が町内に原発立地を予定している」との話が、当時の河原﨑貢町長に伝わりました。
ここから、浜岡町では原子力発電所建設の動きが急展開していきました。

河原﨑町長は、佐倉出身で産経新聞、フジテレビなどの社長であった水野成夫氏を訪問し意見を求めました。その結果、「泥田に金の卵を産む鶴が降りたようなものだ」と、浜岡町発展のため原発の受け入れを奨められ、町は「錦の御旗」を得て、方針を固めていきました。

昭和42年9月28日、町議会全員協議会において「中部電力株式会社が当町佐倉地内に原子力発電所を設置したいという申し入れに対し、土地の買取価格、補償、その他の条件が充たされるにおいてはこれを受け入れる用意がある」と申し合わせがなされました。

何故に浜岡町は原発建設の受け入れに向かったのでしょうか。原発の立地を認めた理由を当時の河原﨑町長は、「発電事業は国家の要請であり公共事業の性格をもつ」「静岡・浜松の中間にある低開発地帯を開発するための起爆剤とする」という2点をあげています。

当時の町の財政力指数は0.35と極めて低く、工場誘致へ積極的に動いていた背景と一致します。町の発展のために、原発立地を受け入れたということであろうこの考え方は、町当局の当初から一貫したものでした。

町は町の発展のためには原発を受け入れる必要があるという立場を明確にし、この立場にたって地主や地域の人々に受け入れを要請しました。地域の人々も、国が原子力の安全性と必要性を強調し、その上に町のかかげる「町発展のために!」という錦の御旗を受け入れることとなりました。

こうして、浜岡町は条件が充たされるという条件のもと東海地方はじめての原発建設の受け入れに大きく踏み出すこととなりました。

用地交渉・漁業面の不安の解消に向けて

中部電力株式会社による浜岡原子力発電所建設の計画に対し、反対の声もあがりました。

建設予定地となった約160万平方メートルに約300名の地権者と佐倉財産区が土地を所有していました。中部電力株式会社から地権者に対し、用地買収および補償の提示がされましたが、農業ができなくなる人、畑がなくなったら生活ができなくなる人など、さまざまな地権者がいたため、交渉は難航しました。その後、地権者の代表22名が用地交渉委員となり、中部電力株式会社との交渉が繰り返されました。繰り返しの協議の結果、昭和43年10月に用地買収基本協定が調印され、用地交渉がまとまりました。

漁業面においても、反対運動が行われました。御前崎、地頭方、相良、坂井平田、吉田の5漁業協同組合を中心とした浜岡原子力発電所設置反対漁民協議会が設置され、漁業者による反対デモが実施されました。
漁業協同組合は、原子力発電所建設による漁場の喪失、資源の減少、資源の質的変化、生産物の放射能汚染、生産物の経済性低下を反対の理由としてあげており、漁民の生活確保と原発の安全性を問題としていました。原子力発電所から温度の上昇した冷却水が放出されることで、漁場に大きな影響を与えるのではないかと大きな不安を抱いていました。
この問題を解決するため、漁業者は自らの手で調査を行いました。

こうした漁場を抱える御前崎町長、相良町長の発案で、浜岡原子力発電所問題対策審議会が設立されました。この協議会は、関係地域の意見を調整し、必要とする調査、研究ならびに審議を行うことで、この問題の解決への道を模索するものでした。

議論を重ねたことで、漁業協同組合から原発の安全性確保、漁業被害補償、沿岸漁業振興を含む地域開発などの条件を提示して、建設受け入れの方針が示されました。

原子力発電所の建設・運転開始

中部電力株式会社は、昭和45年から原子炉設置許可などの申請をはじめ、原子力発電所の建設に向けた動きが本格化していきました。

昭和46年3月に1号機が着工し、発電所建設が進んでいきました。
そして、昭和49年6月、原子炉の核分裂が安定した状態で継続されている臨界に達しました。
その後、改良、追加工事などが実施され、昭和51年3月17日、電気事業法に基づく使用前検査に合格し、営業運転を開始しました。これにより、浜岡原子力発電所が誕生しました。

その後、昭和53年に2号機、昭和62年に3号機、平成5年に4号機、平成17年に5号機が営業運転を開始し、浜岡原子力発電所は日本の多様な電源のひとつとして重要な役割を担ってきました。

中部電力株式会社は、平成20年に、1、2号機を廃止し、6号機を建設するリプレース計画を発表しました。このような計画は、大手電力会社の原子力発電所としては初めてのことでした。

現在の原子力発電所

平成23年3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震をきっかけに、内閣総理大臣が中長期の地震対策が完成するまで浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転を停止するよう要請しました。中部電力株式会社は、この要請を重く受け止めすべての原子炉の運転を停止しました。

現在も、浜岡原子力発電所はすべての原子炉で運転を停止しています。

中部電力株式会社は、平成23年の停止後、浜岡原子力発電所において津波対策工事や重大事故対策工事など、国の新規制基準を踏まえた対策工事を計画的に取り組んでいます。

参考資料

昭和42年の原子力発電所建設の候補地選定から平成23年の全号機停止に至るまでの経緯です。

この記事に関するお問い合わせ先
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更新日:2021年03月12日