御前崎市の名誉市民

水野成夫

水野成夫

水野成夫は、明治32年11月13日小笠郡佐倉村水野彦次郎の三男として生まれた。母いねは、池新田村長の丸尾鎌三郎の二女。

帝国大学卒業後は、フランス文学の翻訳出版等に専念し翻訳書を多数出版した。この時期、日本共産党に入党し三・一五事件で検挙され、獄中で離党した。 昭和15年、実業界に志して同志南喜一とともに、大日本再生製紙工業を設立。同20年4月には、大日本再生製紙と国策パルプ工業(株)とが合併、同時に国策パルプ工業常務取締役に就任。同31年11月、同社長に就任した。 同年の文化放送就任を手始めに、同32年フジテレビ、同33年産経新聞の各社長となり、フジ・サンケイグループの基礎を築いた。日経連常任理事・経団連理事・同友会幹事などを歴任し、財界四天王の一人であった。同40年3月に名誉市民となり、同47年5月4日死去、享年72歳。

丸尾謙二

丸尾謙二

丸尾謙二は、明治33年7月7日榛原郡初倉村永田政平の二男として生まれた。大正7年に県立榛原中学校を卒業すると大阪工業大学に入学、同10年に同校を卒業し、東北帝国大学法学部受験のため郷里に帰った。 大正12年3月4日に、小笠郡池新田村丸尾勉の長女あさと結婚し丸尾と改姓、昭和2年に東北帝国大学法学部を卒業すると同時に帰郷し、笠南公民実業学校(池新田農学校の前身)の校長に就任した。当時池新田を中心に農学校の設立の計画が進められ、謙二は進んで自己の所有地を提供して、同3年池新田外十ヶ町村組合立池新田農学校を設立。若干28歳をもって同校初代校長となり、以後同19年までの16年間同校の校長として敏腕を振るった。 太平洋戦争敗戦により、郷土の復興に熱意を燃やし、同22年4月、県議会議員に当選。以後、6期連続24年間県議会議員として県政に携わり、特に農政・教育方面に尽力した。その間同36年には県議会議長にも就任した。同46年7月に名誉市民となり、同47年7月3日死去、享年73歳。

川口栄

川口栄

川口栄は、明治37年11月25日に榛原郡御前崎村西側の鰹節加工業を営む川口清次郎の三男として生まれた。大正6年に村立御前崎尋常高等小学校を卒業し、同年4月に白羽村立白羽尋常小学校へ一時在学。この頃から絵心を持ち始めた。同8年3月御前崎尋常高等小学校高等科を卒業後、生地の御前崎を離れ、横須賀市に身を寄せた。同11年日本美術学校洋画科に入学、中川紀元に師事した。その後、白日会や日展など中央画壇で数多くの入選作品を出品し、昭和18年に白日会会員となる。 毎年公募の横須賀美術協会展を開き、地域の文化活動に尽力した功績により、芸術による社会指導者として、同30年に神奈川県知事賞を受賞。同61年には、御前崎町制30周年記念事業で文化会館が建築され、落成を記念すべく回顧展を開いた。出展した作品を町に寄贈し、教育文化の振興に寄与した。平成元年3月に名誉町民となり、同4年1月13日死去。享年87歳。

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更新日:2018年05月10日